たとい彼は千年に倍するほど生きても幸福を見ない。みな一つ所に行くのではないか。
何千年生きたとしても、満足することがなければ、生きていることに何の価値があるのでしょう。
たとえ、千年の長寿を二度繰り返したとしても、幸福でなかったなら、何になろう。すべてのものは同じひとつの所に行くのだから。
アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。
そして言った、 「わたしは裸で母の胎を出た。 また裸でかしこに帰ろう。 主が与え、主が取られたのだ。 主のみ名はほむべきかな」。
わたしは知っている、あなたはわたしを死に帰らせ、 すべての生き物の集まる家に帰らせられることを。
記憶せよ、わたしの命は息にすぎないことを。 わたしの目は再び幸を見ることがない。
さいわいを見ようとして、いのちを慕い、 ながらえることを好む人はだれか。
ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。
知者の目は、その頭にある。しかし愚者は暗やみを歩む。けれどもわたしはなお同一の運命が彼らのすべてに臨むことを知っている。
みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。
たとい人は百人の子をもうけ、また命長く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、わたしは言う、流産の子はその人にまさると。
またこれは日を見ず、物を知らない。けれどもこれは彼よりも安らかである。
悲しみの家にはいるのは、 宴会の家にはいるのにまさる。 死はすべての人の終りだからである。 生きている者は、これを心にとめる。
すべての人に臨むところは、みな同様である。正しい者にも正しくない者にも、善良な者にも悪い者にも、清い者にも汚れた者にも、犠牲をささげる者にも、犠牲をささげない者にも、その臨むところは同様である。善良な人も罪びとも異なることはない。誓いをなす者も、誓いをなすことを恐れる者も異なることはない。
わずか数日で死ぬみどりごと、 おのが命の日を満たさない老人とは、 もはやその中にいない。 百歳で死ぬ者も、なお若い者とせられ、 百歳で死ぬ者は、のろわれた罪びととされる。
彼らが建てる所に、ほかの人は住まず、 彼らが植えるものは、ほかの人が食べない。 わが民の命は、木の命のようになり、 わが選んだ者は、 その手のわざをながく楽しむからである。
彼は荒野に育つ小さい木のように、 何も良いことの来るのを見ない。 荒野の、干上がった所に住み、 人の住まない塩地にいる。
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、